イラク日本人拉致事件があってから早数ヶ月。桶川女子大生殺人事件があってから早数年。多くの人はその詳細を忘れてしまっているだろう。ある先生はその理由を「無関心だから」というだろう。ではなぜ無関心になるのだろうか。現在と過去の情報の入手スピードや量を考えると明らかに現在のほうが数的に膨大である。その中で自分に有益な情報を選択していかなければならない。不必要となったら削除していかなければならない。なぜなら過去数十年での獲得できる情報量と人間の蓄積できる情報量の伸びの差も膨大だから。人間が情報についていっていない、といえばいいだろう。なので単に無関心ということだけでは済まされない。次々と現れてくる情報を目の前に、人間はどういう行動を起こすのだろうか。それは今、皆が行っている忘れるということだ。既存の情報を忘れることによって新たな情報を得ていく。もちろん、情報の圧縮を行うことができる人もいるだろう。というか誰もがどこかで圧縮を行っている。.mp3が高周波成分をばっさり切り捨てるように人間も情報の一部を捨てたり、言い換えたり、どこかとリンクさせたりして正確さを保つ。しかしそれだけでは今の膨大な情報をもれなく取得などできない。その結果どんな悪質な事件でも一瞬で過去のものとなり次々と現れる新たな事件のおかげで消え去ってしまう。情報を取得する時間、手段もそれを助長する。情報取得時間と手段は短縮は人の情報探索時に発生する、詳しく知りたいという願望を叶えることになった。その結果、その情報は個人的により濃いものとなりその他の情報を除外する。主観的濃さが先立ち、客観性をなくす。関心の多様化といえば良いのだろうか。これはまさに無関心に繋がるだろう。ちなみに無関心は現在特有のものではない。専門家は概して自分の興味以外には無関心である。学問以外にも専門家ができたと思えば良い。