自分の中から溢れてくるものを表現できていますか。と聞かれたら、いいえと答えるしかない。そう自覚している。自分の中から溢れてくるもの、というものがよくわからない。歌やピアノ、絵などを想像したがその才能がない人はどうするのだろう。例えば、自分の頭の中にある考えを研究し論文にしたら表現できたことになるのだろうか。自分の中から溢れてくるものを表現する、とりあえずこう定義しよう。自分の才能、能力、考えの具現化またはそれをある媒介等を用いることによって自分以外の人に知らせること。私はまだこれを表現できていない。表現していないというのが正しい。現在の自分の立場からそれにあたるのは卒業研究。いまだに数年前の技術体系の金魚のフン。自らの新たな視点やセオリーになかなかたどり着かない。簡単にたどりつく物事程度が自分の中から溢れてくるものと呼べるだろうか、という考えもできるが、私の場合それはフォローになると同時にまだまだ未熟であることも思い知らされる。また周囲は気づいているが自分だけが気づいていないものもこれにあたるだろう。例えば優しさだったり、気配りだったりするだろう。自分の中から溢れてくるもの、それは自分の中にある存在なのに自分が一番知らないものでもある。つまり、私は今、自分の中から溢れてくるものを表現できていないと思っているが、ある人からすれば表現できていると思われている可能性もある。日本人に多い謙虚な姿勢のおかげでこれの頻度は高いだろう。自分の中から溢れてくるものを探すにはどうすれば良いか。私の場合、自分の意見を言うこと、だと考える。溢れてくるものとはいえない代物でも表現することにはなる。あとはそれが溢れてくるものなのかを考えれば良いだけ。と数珠繋ぎのようになったがこれを表現できたら、自分の中から溢れてくるものを表現できるのもたやすいだろうと、こじつけよう。