油絵と大学受験の関係

夏にちょっといってきた奥多摩のとある川原での様子を油絵で描いてみた。それをC市の文化祭に出品。△賞をいただきました。なぜか作品は帰ってこないそうです。そういえば昔も同じようなことがあった。
小学生のときの写生大会でサイロを描いたら先生が気に入ったらしく、北海道の文化祭らしきものへ勝手に出品された。両親はとても喜び、次の参観日に見られると思い楽しみにしていたが(写生会の絵は参観日までに学校の廊下に張られる)、賞をとったことで僕の絵だけ戻ってこないことが判明(どうやら今も北海道○○美術館に保管されている)し、親は残念がり僕に愚痴をこぼすことが何度かあり、当時バカな自分はダメなのは自分だと思い込みへこんでいた。
高校生になり美術部に入った僕は高文連のために油絵を描いていた。その頃読んだ死刑に関しての本にかなり影響を受け首吊りする側からの視点で描いた絵だったが途中、親に見られ、なぜそんな死刑(マイナス)を連想させる絵を描くのかと問い詰められ絵を描くのをやめる。親に自分の才能を踏みにじられた気分でその絵は一番重要なものを描かないまま未完成で出品し案の定見るに耐えないものになった。次にあった校外展のときは親に見られないよう最新の注意を払い、美術室でも人の絵をみないように(影響されるから)、家でもみられないように絵を隠したり、外出する振りして部屋で絵を描いたりした。その絵は自分なりに満足した出来だったので校外展の存在を親に知らせたが親が見に来たときに僕がいたら何を言われるのかが想像できたので(基本的に否定的な事しか言わない)この頃から頻繁に予備校に行くようになった。そして美術部とはオサラバし、ひたすら予備校にいくことで親も文句を言わず、僕は数学と物理のとりこになっていくのであった・・・